私は芸術大学で音楽を勉強した。
音楽は音を楽しむと書くけれど、もはや音を楽しめなくなるまで勉強してしまえる環境が大学には用意されていた。
”楽しい”という感覚は人それぞれだから、私の楽しめる範囲がひょっとすれば狭く、「曖昧にしておいてほしいものをそこまで言語化しないで」、というようなところで、私は結果的にポストロックのようなバンド活動に走り、アメリカンバイクを乗り回し、反発していたのだと思う。
こうやって色や自然や心のことやを自分の人生の大半をかけてやることになるとは思ってもいなくて、それこそ起こる出来事に呼び求め合うようにこの道を進んできた。この色の道もまた、曖昧にしておいてほしいものを言語化することにあたっていて、それを全くしないことはほんとうに有用だと思うものが認められてはいかないこともわかったし、でもやりすぎてしまうと、それもそれで色の息を止めてしまっているようにも思う。だからこそ、本質的なものだけをつかんでいくような、色の秘密、核心の部分にのみ接近していける学びの形をとった。
私は仕事を尋ねられることが苦手で、だからその中で自分がどう立ち回ろうとしているかを敏感に感じる。何を仕事としてやっているかというと、色の学びをとおして”自然と呼応する心”を人が取り戻すことを支援する仕事だと考えている。そんなことを友人が集まる席で言ったところで、「え?」となる空気にも、正直慣れてきた。聞く人が聞けば、お前は一体何様なんだ、どんだけ余裕ぶった人間なんだと思う人もいるんだと思う。
でも、実際はお金や余裕などほんとうになくて、この仕事は巡ってくるものの中で営むしかない。私は自分が自分でいることが本当に難しい人生を物心ついたころから送ってきた。だから、人一倍、自然体であることや、自然であるということが愛おしいのだ。渇望して生きてきたのだと思う。その分、自然が発する何か、それは時に音楽だったり色だったりするし、その自然が発する何かに、私は呼応して生きていたいし、それが悲鳴をあげているようなことも、自分の痛みのように感じるところがある。
私には私たち現代人がこれからを生き抜くことのために、自然とともに生きていくことのために、どうしてもそういった自然と呼応する心が必要なものではないかと考えていて、例えば音に反応して体が動くこともそうだし、知った音楽を聴いていると鼻歌が出てくることもそうだし、春になったら自分の心の中に何かを始めようかという気持ちが芽吹いてくることもそうだし、コロナが流行ることも巻き込まれながら一体何のためにこれが起こっているだろうと考えて、当事者になって行動を起こしていく力のこともそうだと思う。
役に立たないものだったり、弱いものだったり、怪しいものだったり、目に見えないもの、儚いもの、そうされてきたものの中には、自然と私たちをつないでいる何かがあって、自然をそれこそ地水火風だけでしかとらえないものの見方も、どこから押し広げて、生命と非生命が突き止めたところどこかで繋がっている、境界がないということを感じる心になって、風に吹かれて踊ることもあっていいのではないかと思う。
そういう野に、私は生きていくのだと思う。
今、私は、あの人がそう歌うように、強い風が吹く野で、針の穴を通すようなことをして生きているのだと思う。
それでも、そうやって自分のリズムを奏でて、歌を歌っていく、それが音楽だと思うから、音楽のように生きるしかないのだろうと思う。